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われおもうゆえにわれあり

最近、年をとったな・・・とか
時が経つのは、何て早いのか・・・とか、
思う事がある。

先日も、大きな事件が10年目を迎える・・というニュースを聞いて、
旦那さんと、
「もう10年なんや。10年前といえば、私はまだまだ、ピチピチで・・・ん??
10年前って、私もう26歳やん!!」と絶句してしまった。

旦那さんも、
「そんなん言うたら、俺は、31歳やん」と、これまたビックリしていた。

10年前は、私たちは、もっと若い年齢を期待していた。
でも、実際は、そんなに若くない。

10年前でも、すでに、けっこう、大人やん

つい最近まで、「10年前はまだまだピチピチで~」なんて言うてたよ~な気もするが、
今では、「20年前は・・・」に変えて、丁度いいぐらいだ。

 とにかく、時間が経つのが、早い。
9月も、最近「もう9月よね~」と言ったような気でいたら、
もう9月9日・・・3分の1を終わろうとしてるし。

 こんな調子で、簡単にアッという間に、年をとっていくのかと思うと、
恐ろしい・・というよりも、何となく「抵抗出来ないな」という気分になる。

乳がんになってから、何かと「再発」の影に怯えたり、
自分は、きっと「長生きできないし、寿命も短い」と思ったりもしたが、
こうも、時の経つのが早いとなると、
数年・数十年単位の違いは、「瞬時」で、大きく見ると、差異が微小。
 その「差異」に怯えるのもな~と、思えて来たりする。

 病気になってから、
昔の事を自然に思い出す事がある。

昔の風景や、ちょっとした会話、ある日の夕飯。
 それは、決して、大きな出来事ではなく、
日常に息づく、慣れ親しんできた、「匂い」「空気」「存在」

 そして、不意に、「こういう風景を、死ぬ間際に思い出すんだろうな」と思うのだ。

ベッドで横たわり、窓の景色を眺めながら、
私は、姉妹で読んだ漫画の並ぶ本棚や、家族旅行の早朝の空気の匂いや、
学校の椅子をひく音や、仕事の休憩中の先輩たちの声、
イタリアの朝のコーヒーの香りや、子供たちの横顔、旦那さんの背中。

 そして、ゆっくりと瞼を閉じる。


  つまり、思い起こすのは、決して、大きなイベントとかではなく、
日常そのものなのだ。

となると、今度は、

逆の現象が起こる。

日常の合間、不意に、今私が見ているこの景色は、
ひょっとしたら、病床に横たわる死ぬ間際の自分が、思い出しているんじゃないのか・・・・と、
思う時があるのだ。

 私は、ドキドキして瞼を閉じて、そして、また開ける。

同じ景色、記憶でない景色である事に、ホッとする。
ホッとすると同時に、
 きっと、これが本当に、「死ぬ間際の思い出す記憶」の断片だったとしても。
瞼を閉じて、開いた時、ベッドで自分が横たわっていたとしても。

「もの凄く良い気分だ」と言えそうな気がするのだ。
そこに、恐怖心はない。

 瞼を閉じて、そして、開ける

その動作一つで、何年でも何十年でも、時間を飛び越えてゆける。
つまり、人生は、それほどに、早いという事なのかなって最近思う。

日常のこの瞬間を、私は思い出すかも知れない。
そう思った日常の瞬間は、大切な切り絵となって、自分に保存されていくような。
そんな印象を受けるんである。

 そうして、そういう切り絵がどんどん積もってゆく事が、
幸せであり、自分を「幸せな人生」に導いていくんだと思う。

 「日常」こそが、幸せであり。
そして、そう自覚して、日常を「幸せ」にしていく事が出来れば、
きっと、「あああ~。幸せの人生だった」と、
生きた時間の長さや短さにとらわれず、思えるような気がするのだ。


 う~ん。ワケわかんなくて、申し訳ないのですが。
最近、本当に、そういう「瞬間」に出会う事が多くて。
 死ぬ間際の自分が、思い出してる映像の断片じゃなかろうか・・・と思う瞬間。
そして。
 この映像を思い出してる自分は、きっと微笑んでいるはず・・・と思って、
自分が、幸せなんだな~ってかみしめたりする。そこには、感謝しかない。

 死ぬ間際の自分が、「幸せ」である為には、
やっぱり、自分で、「幸せな日々」にしていかないとダメで。
 そういう断片を、ドンドン生み出す努力をしていかないな~と思うワケです。

長さや、短さではなく。
病気がある、健康である。。ではなく。
そういう断片を、どれだけ切り絵として、保存してゆけるか。


そんな事を考えるのも、年をとった証拠なのかも知れない。
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コメント

うん

長さや短さではない
誰だって次の瞬間どうなるかなんて分からないものね

最期の最後に頭に何が浮かんでくるか
何を持って(物ではなくね(笑))旅立っていけるのか
もしかしたら
その感覚さえないくらい突然なのか

結局その時になってみないと分からないけれど

ほんの少しでいい
『幸せだったなぁ』って思える
「ありがとう」って大切な人に伝えられる
そんな旅立ち方をしたいものだと


思うのであります

時の経つのは早いね。

年々一日が早く過ぎ去ると思うようになった。
それだけ、人生精一杯に生活しているからかも知れないね。
でも、その日が無事に過ぎればサンキューと感謝したい。
日々感謝ですね!!

ほんまやね。
一瞬一瞬の積み重ねが、幸せな人生になっていくんやね。私も今の精神状態やったら、ママ幸せやったよ、ありがとうって、最期を迎えられそうやけど・・・あそこのケーキ最期に食べたかったわ~~とか思いながらやったりしてねv-8
残された家族のためににも、鬼母で汚れた思い出を最小限に心して生きていかないと・・・私v-16

検査、良かったねv-238
最高のニュースです^^

最近スピリチュアル系に興味があって、人が宇宙人に見えてきたり・・・ こんなん、どう??

最近、日常生活を送ってて、自分の生活に
自分の人生に意味があるのかしら・・・なんて
中学生みたいなことすごく考える瞬間が多くて・・・
ま、年取ったってことでもあるのかもしれないけど・・・

日常の一瞬一瞬を切り取って、最期の瞬間に
よかったな~って思えるだろうなって思えるってことは
すごく毎日を大切に生きてるってことだろうなって
思います
私もそう生きたい・・・
ま、それなりに幸せなんですけどね(笑)

そう・・・9.11
うちの旦那様の誕生日(笑)
あれから、もう10年なんだね・・・なんて
まだ、全然出会ってもないんですけどね
10年前・・・

って、10年前わたしなんていくつだよ (´;ω;`)
はぁ・・・
完全に折り返し地点に向かってる私
日々大切に生きていきたいと思いました

ありがとうございます☆

しゃい様

死ぬ間際、絶対、何かを考えるし、何かを見ていると思うんです。
一瞬にして、記憶が走り抜けていくんだと思う。いわゆる、走馬灯。
その時、映像として流れるのは、きっと、平凡な日常の瞬間なんだろうな~と最近、
そう思うのです。
 嫌な記憶の中の、ちょっとした日常のひと場面がきっと、
あるんだろうな・・・って思っています。

kisyuudainagon 様

そうです。どんな、ささいな日常にも、感謝な気持ちでいっぱいです。
平凡な日常の、ひと場面・匂いに、幸せが詰まっているように思えてならない今日この頃です。

yuwkoko 様

私は、悔やむとしたら、
「あ~・・最後に風月のブタ玉モダン食べたかった~」と思うかも知れない。
それもまた、幸せな最後なのかも知れない。平和過ぎるもんな~(笑)

ホント、アッという間だよね。つい最近まで、高校生やったのに・・・は言い過ぎ??

宇宙人に見える・・・・yuwkoko なら、あり得るでしょう!・・・がホントの所です(笑)

こぶぅ様

 自分の人生に意味がない。
私も、それに似た事を考えた事がある。結局、死んでしまえば「無」に還るのに・・・。

 でも、そうではないんだと。
何かに、絶対、私の一部は刻まれて、何かの「一部」になって、未来に繋がってゆくんだと思っています。
 私と接した人が、私から何かを得て、その人の人格形成に一役かっているかも知れない。
とてもとても小さな事だろうけど、何かに、きっと自分の一部は残されてゆくんだと、「未来」の一部になっていくんだと、思うんです。
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もふぁ

Author:もふぁ
夫&娘3人の5人家族。
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